十年記 ~2014年
誰に教えを請うワケでもなく.....
ゼロからスタートしたネイティブトラウト挑戦の10年間を綴る十年記も
いよいよ昨年となります2014年まできました。
記憶が新しい分だけ書きやすいと思われましたが
全体の構成を考えていると意外にも難しいことが発覚しました^^;
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無職透明の状態から一転し激務に晒された2014年解禁。
流れに向う財力と気力は復活したが体力は尽きたまま河は開いた。
この時点では未だかつてなく釣行の薄い年になるだろうと覚悟していた。
が、空から降ってきた数々の幸運に業務内容が変更され
今まで同様とまではいかないものの予想より遥かに実釣行は許された格好となる。
ところが一つだけ決定的に違うモノがあった。
年々、明らかに落ちてゆく体力だったが更に実感が増した年。
釣行ではなく社内を普通に歩いていても何でもない平地ですら
つまずく事が多くなり想像するに脳が感じている以上に足が上がっていないようだ。
では、これを峪へと変換してみよう。
目に見える難所は当然行くことはできないと判断するだろう。
しかし脳では到達できると判断しても
実際に手足が思考についていかないとなればどういった事が起こるのか。。。
「滑落だ。」
自分では跨げると思っていても実際のところはやってみないと判らない。
これほど源流釣行において恐ろしいものはないと悟った。
以前から、どれだけ深い場であっても時間さえあれば降りられると
釣友などにも豪語していたが今はまったく自信がない。
過去、他人が到達するのが難しい場などの攻略を自身の武器としていたが
それに赤信号が灯れば丸腰の戦闘員みたいなものである。
以前は行けた現場に立てないと感じた時点で若干興味が薄らいだ。
そこで行ける範囲において獲れる術を身につけようと考えた。
そこには技術だけではなく場の状況を見極める目というのも大きい。
とくに目立った釣行もなく解禁から時は過ぎ季節は盛期。
呼び水を皮切りに動き出したが、またもや苦難が待っていた。
まったくと言って良いほど降雨はなく各河川は異常な数値が続く。
それは記憶にないほどで水を嫌うはずのネギ畑でさえ散水していたほどだった。
近所の農家の方々で半数は作物が全滅。
雨が降らずとも水量が例年通りだったのは巨大ダムを抱える利根川だけだった。
状況を見ながら利根に渡良瀬と向うが利根については技量不足。
壊滅的であったホームでは例年では混んでいる場もガラガラ。。。
誰もがチャラチャラと流れる渓流のような規模の本流に
各々、物理的にも遡上する魚は居ないと思っていたのかもしれない。
実際、小型遡上鱒ですら捕獲の話は聞かずで季節は悪戯に過ぎていった。
良いことなど一つもない超渇水ではあったが、それにより見えた部分もある。
日々、僅かな魚信は、どれにも明確な共通しているところがあり
それが以前から漠然と考えていた事柄と一致していたのだ。
幸か不幸か下がりきった水位に自身が打った反応だけは多く見る。
如何せん異常な渇水によりバイトには至らない
もしくは鼻先で突くしぐさで終わるなど
捕獲までは至らないが狙うべき場だけは確信できた。
その後の攻略法は変化していきピンスポット付近の着水音をも削ぐ形で
今の時代に逆らうフローティングミノーをも投入。
相変わらず異常な渇水は続いたが若干の水位変化時に複数獲れた。
これを当時の釣行記では「遡らせて獲る」と表現したのを記憶する。
もう一歩先を記すれば場においての活性の差とも言うのか。
その反面、上に該当するポイントに乏しい利根では惨敗。
それが全てではないと思うが別の手法のヒントを得るしかないと悟る。
高水温という事実に阻まれ本流シーズンは終焉を向え季節は渓流。
自身の機動性に問題があるのならと目をつけたのは下流域。
それも他のアングラーならば見向きもしないような下流。
ここで問題となったのが水温。
中流・上流においても年々課題となる高水温による反応の薄さ。
釣れないまでも居る事が確認できればと自分をも騙し打ってみたが姿すら見えず。。。
ならば下流域という部分を固定し下流においても
水温が低いと思われる他の漁協管轄地域に試験的に飛んでみた。
偶然なのかもしれないが結果がモノをいう自身最大値の山女魚を奪取。
自身のHGという枠で、どうにかするというのも一興だが限界があることを知る。
関東に在住ながらも他の地域に向うアングラーが多いことも頷ける。
時は禁漁間際。
今年こそはと秋色大山女魚を求め自主的大型連休(ズル休みともいう^^;
で狙うも今後に繋がるようなヒントは掴めず禁漁を迎えた。
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...何かのCMみたいですね^^;
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