2015年12月12日
10年総括記 ~2013
さて...だいぶ今現在へと近づいてきました十年記。
今日お送りしますのは3シーズン前の2013年ですか。。。
釣りから離れ一歩ひいてモノゴトを考えますと複雑な年でした。
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2013年3月1日解禁。
私は水温が上がりそうな午後にホーム河川へと向っていた。
閲覧している皆さんには一切関係ないことだが
私には無視できない事実があった。
この時点で職を失っていたのだ。
そういった意味では今期の釣果を憂うのではなく
自身の人生そのものを憂いでいた13年解禁だった。
しかし、この日の時点では危機感はなく単に平日の解禁日を愉しんだ。
今までは峪での年越しモノを狙い動いてきたが本流域に目を向けた。
本流筋であれば痩せ細り哀れな姿をした個体も少ないのではないだろうかと考えたのだ。
また山岳渓流より水温も高いであろうという推測だった。
ただ、この時の自分としては全ての渓魚は産卵行動のために
基本的には支流へと遡っているのだから果たして居るのか?という疑問があった。
結果としては居ないこともないという反応。
とくに遡上が関係ないニジに関しては数は少なくとも本筋に居ることが分った。
その後に人生初の中禅寺湖釣行が叶う。
今までは一点に絞った釣りを嫌う部分もあったが利根と昨年の湖で慣れたようだ。

厳しい環境のなか、まるで修行のような釣行となったが
水中で身をひるがえす完全無垢な魚体は鮮烈に記憶を残す。
これを機に早期の旬を考えるきっかけとなった。
季節は進み盛期一歩手前。
常に身体が空いているのだから相当な釣行回数を重ねたと思う方々も少なくないだろう。
たしかに身体は空いていたが無職ということは無収入である。
その間にも自宅のローンや支払いは容赦なく請求される。
つまり時間は売るほどあったが動くための資金がなかったのである。
その関係もありガソリン代以外は掛からぬ利根川に出向くことが多かった。
常に水位等は監視していたがホームである渡良瀬川本流には
これなら可能性は高いと思わなければ向うことはなかった。
ロストしたミノーやライン代を考慮し釣行経費を浮かせる。
自宅を出た際のペットボトルの茶がなくなれば現地周辺の公園で水を汲んだ。
おかげで渡良瀬川流域の公園の水は、どこが不味く、どこが美味いのかをも網羅した。
また食事はコンビニにぎりを一個と極貧釣行が続く。
最初こそ誘われていた企業もあったことから
余裕はあったもののシーズンが良くなるにつれ「もう少し先」と断っていたが
いつしか電話もなくなり果ては逆に断られた。
そんなストレスを開放するはずの釣行だったが
やはり根底にある将来不安などは一瞬も忘れられない。
ダメなときは何をやっても駄目なものである。
ことごとく渡鱒の位置を見失い釣れてくるのは放流モノばかり.....。
何とか最終最後で画になる一尾は獲ったが到底満足いくものではなかった。
先の2012年版では
場によっての反応の違いについて翌年に確信するとあるが書いていて気がついた。
確信へと一歩進んだのは更に翌年の14年だった。
数多く行くこととなった利根川はどうだったのだろう。
正直に言うと、あまり良く憶えていない。
たしかに現場へとは向うが時と共に進む焦りからか短時間釣行が多かった気がする。
獲ったか獲っていないのかを調べてみると獲るには獲った「らしい」
各本流域の釣行も終えた梅雨入り時から支流の釣りが始まる。
ここでも大型個体はどういった行動や付き場を選ぶのか...
その後に始まる高水温時の対処法は?等、考えなければいけない事は多い。
だが、やはり基盤が脆いことが、どれだけ影響するかを知った。
目の前のポイントの
どの部分にミノーを通せば効率的なのかを考えている次の瞬間には将来を憂いでいる。
こんな時にナニをやっている?と自問自答し帰宅することも多かった。
そんな調子なのだから記憶は薄いが岩魚が一投につき一尾釣れた沢だけ記憶する。
異常なほどの魚影に右でも左でも
言い換えれば水中にミノーを通せば、どこからでも岩魚が沸いてきた。
最初こそ愉しんでいたが、あっという間に飽きた。
実際、この日以来この流れには行っていない。
といった具合で何一つ発見もなく進化が止まった年なのだろうか。。。
しかし、あらためて釣行に集中できる環境がいかに大切なのかを忘れないようにしたい。
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Posted by yokaze at 11:21│Comments(0)
│十年の足跡